
アメリカのオレゴンコースト水族館でリハビリ中のケイコ。ゼンマイ仕掛けの犬の置物がお気に入りで、犬を動かすと、何をしていても必ずとんできた。この窓はスタッフ専用の窓。
ケイコは1977年または1978年にアイスランド近くの大西洋で生まれました。1979年に人間に捕獲され、家族と引き離されて、地元の水族館に送られ、その後、カナダの水族館に売られて、そこで芸を教えられ、次にメキシコの水族館に送られて、オルカショーに使われました。しかし、メキシコの狭くて水温の高いプールで体調をくずし、皮膚病がひどくなりました。
1993年、アメリカの映画会社が制作した「フリー・ウィリー」という映画が、世界的に大ヒットしました。この映画は、親に捨てられた少年が水族館からウィリーという名前のオルカを救って海へ逃がす話でした。この映画でケイコはウィリー役を演じました。ケイコがメキシコの水族館で病気に苦しんでいるのを知ると、世界中の子供たちが何とかケイコを救って、ウィリーのように自然の海へ帰してやりたいと考え、さまざまな活動を始めました。これを知って、環境保護団体と映画会社が、ケイコをメキシコの水族館からアイスランドの海に戻す活動を始めました。

ケイコは人間が大好きで、観客が展示用の窓に近づくと、必ず近よっていった。
ケイコが水族館やアイスランドでどのような生活を送ったのかについては、イルカのおすすめ本のページに挙げた「ケイコを海へ帰したい」、「ケイコ 海へ帰ったオルカ」などを参照してください。
結局、ケイコは健康を取り戻し、皮膚病もすっかり治ってアイスランドの海を泳ぎまわれるようになり、野生のオルカとも交流するようになりました。2002年夏には、何日も野生のオルカとすごした後、ついに北大西洋を横切って1500キロを超える旅を続け、自力でアイスランドからノルウェーに移りました。ケイコは、まったく人間の助けなしで60日近くを、外洋で過ごしたのです。

アイスランドのヘイマエイ島の巨大な生簀(いけす)。湾全体がケイコのリハビ リに 使われた。
しかし、ケイコが人々と交流し続けることを許せば、ケイコを野生に戻すことはできません。そこで、ケイコを世話している環境保護団体のトレーナーたちは、ケイコが人々と交流できないように、ケイコを人里離れたタクネス湾に船で誘導し、そこで、ケイコの面倒をみました。湾内に閉じ込めることはしませんでしたから、ケイコは自由に湾から出入りして、ノルウェーの海を泳ぎ回っていました。
そして、もう1、2カ月すれば、野生のオルカの群れがタクネス湾の近くに泳いでくるはずでした。もし野生のオルカの群れがケイコを仲間として受け入れてくれれば、ケイコは、野生のオルカとして、一生を過ごせるだろうと、多くの人が期待していました。

アイスランドの生簀の中でリハビリ中のケイコ。
ケイコは、死ぬ直前に、親しかったトレーナーに近づきませんでした。しかし、自分から海岸に近付き、人間の前から姿を消すこともしませんでした。ケイコは人間に育てられ、死ぬまで人間が大好きなオルカでした。しかし、野生のオルカになるために人間との交流を断たれ、結局、オルカの仲間になる機会を失ったまま死にました。いっぽう、ケイコは、自分から進んで、自分の意志で大海に乗り出し、大西洋を自由に泳ぎ、野生のオルカとして死にました。水族館に飼われたオスのオルカとしては、2番目に長く生きたオルカでした。
ケイコは、水族館で飼われたオルカを野生に戻すことがいかに難しいかを示しています。ケイコの悲劇は、人間が幼いケイコを家族から引き離して捕えたことから始まったと言えます。

アイスランドの海を自由に泳ぐケイコ。